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今年はUK日本イヤー。 リンゼイ・ケンプ・カンパニーの来日公演、残念超残念ながら自分の渡米期間とぴったりかぶって断念。 一日もズレがないとは…ロンドンで見て来いってことですかね。 http://www.tate.jp/LINDSAY/ 彼のバイオグラフィによると、 「リバプールにて、シェイクスピア劇の道化役者ウイリアム・ケンプの子孫として生まれ、ブラッドフォード・アートカレッジで絵画を専攻、サンシャイン・スクール・オブ・カレッジでマルセル・マルソーのもとでマイムを学ぶ。」 というせいか、ものすごーく当時のUKロックな映画「真夏の夜の夢」、ケネス・アンガーの「ラビット・ムーン」に映ってるケンプは白悪魔というか救済と残酷、さまざまな二極混在(否定しないので対立ではない)、すなわち「道化役(トリック・スター)」を本性としているのかしら。 マイムの門下生であるケイト・ブッシュの「天使と小悪魔」とか、81年発売のライブ・パフォーマンスの演出にはシンパシーが染み渡っているし(当時それをLDで見ていたケイト絶賛の仲間内でさえ「何だあのタコ踊りは〜」と不評であったが)、デヴィッド・ボウイーも門下生だそうです(「ジギー・スターダスト」を演出)、今は亡きデレク・ジャーマン(と来ればザ・スミス)などなど、60年代後期から80年ちょうどくらいまでのUKロックの濃ゆーいエッセンスに混じり込んでいます。 80年前後から90年代中盤まで次々と来日していたダンスカンパニーやモダンダンス、ブトー、パフォーマンスを割と観ていた中で、LKカンパニーの来日公演はドキドキして幕開けを見ていたのだけど、メタボな白塗りのおじさんが「パックだよ〜ん」とトラスの高いところから登場したときは別の衝撃で絶句しました。 それまでに見て来たパフォーマンスのほぼすべて、ダンサーは鍛え抜かれた隙の無い身体で表現していたし、カンパニーの冠役者とくればその身体鍛錬で君臨するというオーラさえあったのに、と若き日の自分は悶々としながら、他のダンサーとは圧倒的に異なる身体をそのままさらけ出している偉大なるリンゼイ・ケンプの意図を推し量りました。 「舞踏とは命がけで突っ立った死体である」とは土方巽氏が遺した根幹となるコンセプトだが、LKの妖精パックは生命的身体の変化に自然に従った反舞踏的身体、それは舞踊でも舞踏でもない新しくPUNKな…既成の概念をぶち壊す…身体といえるのでは。 パフォーミング・アーツ(見せる身体)をなりわいとする人のなかでリンゼイ・ケンプはやはり圧倒的に前衛なのだ、と結論して納得したのでありました。 そういう「命がけで突っ立ってない」身体って、ビジネス界では「自己管理ができない」レッテルとか、成人病を脅かされるメタボリック症候群とか、理性に反するように捉えられがちだけれど、それらを鑑みたうえで選択することであれば、「命がけで突っ立とう」とアンチエイジングに励む努力はむしろ保守的なふるまいと言えるでしょう。 新石器人が文明を作り上げて行く過程では「現世への執着」「生き続ける歓びの追求」がダイナモになっていた思うのだけど、現代、数千年にわたる思考(哲学)の歴史と先端医療・技術の貢献によってまずます保守的傾向は高まっています。 老いを受け入れない、死を受け入れないということは老いてゆく、死んでゆく約束の元にある生物にとって「命がけて突っ立つ」ことなのですね。 そんなふうに理解を立ててみた23の迷える夜でありました。 |
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